2026.3.4

  • ちおこ

奏でたい場所は大槌
トランペット携えUターン

だい・たかひろ

臺 隆裕さん

大槌町出身。尚美ミュージックカレッジ専門学校卒業後、ライブやツアー、レコーディングへの参加をはじめ、編曲など幅広い現場で活動。講師として若者の音楽指導にも携わる。 2018年に自身のユニット【TSUCHINOMI】を立ち上げ、各地のチャリティーイベントに出演。福祉施設での音楽教育など社会的な活動にも取り組んできた。

2026.3.4

  • ちおこ

奏でたい場所は大槌
トランペット携えUターン

だい・たかひろ

臺 隆裕さん

大槌町出身。尚美ミュージックカレッジ専門学校卒業後、ライブやツアー、レコーディングへの参加をはじめ、編曲など幅広い現場で活動。講師として若者の音楽指導にも携わる。 2018年に自身のユニット【TSUCHINOMI】を立ち上げ、各地のチャリティーイベントに出演。福祉施設での音楽教育など社会的な活動にも取り組んできた。

ジャンルを問わず、大槌の音楽好きなら彼の奏でるトランペットの音色を聴いたことのない人はいないでしょう。大槌町出身で2025年にUターンした臺(だい)隆裕さんのトランペットは、大槌で人が集まる空間に音楽で彩りを添えています。東京での音楽活動を通じて、アイデンティティを探した20代を経て、30歳で戻ったふるさと。トランペット奏者 × 地域おこし協力隊という唯一無二のキャリアを歩んでいます。

吹奏楽に捧げた青春
いつも横にはトランペット

代々、大槌に続く臺家に生を受け、音楽を愛する父・隆明さんのもと、物心ついた頃から音楽がいつも暮らしのそばにある環境で育ちました。

幼いころはエレクトーンも習っていた臺さんが、少年時代に夢中になったのは、小学4年生の時に出会ったトランペットでした。中学校では吹奏楽部に所属し、「人生の師」と仰ぐ先生との出会いをきっかけに、トランペットの虜になりました。

吹奏楽が盛んで、岩手県内のコンクールでは有数の強豪校だった大槌高校。吹奏楽部に入ってからは、音楽への情熱は増すばかり。先輩や同級生の仲間たちとともに、練習に打ち込み、演奏の練習はもちろんのこと、肺活量を増やすために、廊下で腹筋をしたり、川沿いをランニングしたり……部員は皆、楽器を愛し、音楽と共に日々を生きる、そんな青春を送りました。

しかし、当たり前に続いていた日常は、高校1年生の時、突如として終わりを告げました。2011年3月11日、東日本大震災。吹奏楽部の仲間たちとのたくさんの思い出の詰まった学校は、その日の夕方、避難所へと姿を変えました。

山際に建つ高校は高いところにあり無事でしたが、その東側に広がっていた大槌の町は跡形もなくなりました。大槌高校の生徒の多くは家族を亡くし、自宅を失いました。新学期が始まると、楽しかった学校の空気は一変していました。

震災後から数か月たつと、吹奏楽部のもとには、県内外のイベントでの演奏依頼が舞い込むようになりました。全国からの支援はありがたく思う一方、“被災地から来た高校生”としてステージに立つたび、臺さんの心には葛藤が生まれていました。

「“被災者”と見られるのが嫌で、とくに大槌から遠く離れた岩手県外の演奏に呼ばれると、『被災したかわいそうな子どもたち』という役割を期待されているんじゃないかと疑心暗鬼になってしまった時期もありました」

そんな臺さんら部員たちの強張った心を溶きほぐしたのは、観客からの拍手でした。ひとつの空間で音楽を分かち合った後に会場の人たちと話してみると、強張っていた臺さんの心がほぐれていきました。「演奏を聞きに来てくれた人たちは皆、僕たちを昔から知っている友達のように温かく受け入れてくれたんです。こういう場を生み出せる音楽ってやっぱりすごいなと思い、音楽の世界に飛び込もうと決めました」。臺さんが音楽の道を志した瞬間でした。
代々、大槌に続く臺家に生を受け、音楽を愛する父・隆明さんのもと、物心ついた頃から音楽がいつも暮らしのそばにある環境で育ちました。

幼いころはエレクトーンも習っていた臺さんが、少年時代に夢中になったのは、小学4年生の時に出会ったトランペットでした。中学校では吹奏楽部に所属し、「人生の師」と仰ぐ先生との出会いをきっかけに、トランペットの虜になりました。

吹奏楽が盛んで、岩手県内のコンクールでは有数の強豪校だった大槌高校。吹奏楽部に入ってからは、音楽への情熱は増すばかり。先輩や同級生の仲間たちとともに、練習に打ち込み、演奏の練習はもちろんのこと、肺活量を増やすために、廊下で腹筋をしたり、川沿いをランニングしたり……部員は皆、楽器を愛し、音楽と共に日々を生きる、そんな青春を送りました。

しかし、当たり前に続いていた日常は、高校1年生の時、突如として終わりを告げました。2011年3月11日、東日本大震災。吹奏楽部の仲間たちとのたくさんの思い出の詰まった学校は、その日の夕方、避難所へと姿を変えました。

山際に建つ高校は高いところにあり無事でしたが、その東側に広がっていた大槌の町は跡形もなくなりました。大槌高校の生徒の多くは家族を亡くし、自宅を失いました。新学期が始まると、楽しかった学校の空気は一変していました。

震災後から数か月たつと、吹奏楽部のもとには、県内外のイベントでの演奏依頼が舞い込むようになりました。全国からの支援はありがたく思う一方、“被災地から来た高校生”としてステージに立つたび、臺さんの心には葛藤が生まれていました。

「“被災者”と見られるのが嫌で、とくに大槌から遠く離れた岩手県外の演奏に呼ばれると、『被災したかわいそうな子どもたち』という役割を期待されているんじゃないかと疑心暗鬼になってしまった時期もありました」

そんな臺さんら部員たちの強張った心を溶きほぐしたのは、観客からの拍手でした。ひとつの空間で音楽を分かち合った後に会場の人たちと話してみると、強張っていた臺さんの心がほぐれていきました。「演奏を聞きに来てくれた人たちは皆、僕たちを昔から知っている友達のように温かく受け入れてくれたんです。こういう場を生み出せる音楽ってやっぱりすごいなと思い、音楽の世界に飛び込もうと決めました」。臺さんが音楽の道を志した瞬間でした。

都会で見つけた
アイデンティティ

高校卒業後、上京し、専門学校へ。 音楽のプロを目指して全国から集まった同級生は皆、臺さんが想像していた以上に個性的な顔ぶれ。10代にして既に独自の世界観を築き上げ、音楽家としての哲学を持っている同世代の存在に驚かされました。

同世代とともに音楽漬けの日々を送り、一線で活躍するプロの演奏を目の当たりにすると、おのずと「自分はどう音楽と向き合っていきたいのか」。自問自答せずにはいられませんでした。

問いかけ続けるうちにみえてきたのは、故郷の大槌でトランペットを吹く自分の姿でした。上京してからも月1回、大槌に帰って後輩たちの吹奏楽を指導し、町内でのイベントでの演奏を重ねる中で、「やっぱり、演奏していて一番楽しいのは、大槌なんだ」と気づきました。「一度離れてみて、大槌のこの温度感で演奏したいという気持ちがはっきりしました」そう振り返ります。

中でも鮮明に憶えているのは、アメリカのジャズバンド“OTONOWA”のツアーに同行して、生まれ育った大槌に本場のジャズを届けたこと。子どものころから臺さんを知っている人や同級生の熱気に包まれ、一流の奏者とトランペットを吹くうちに、未来の自分のありたい姿が浮かび上がりました。

専門学校では様々なジャンルの音楽を学び、卒業後は、ミュージシャンのバックでのバンド演奏や、映像作品への参加、小学校に本物の音楽を届ける演奏家派遣事業に参加するなど、音楽の世界で多彩な経験を積みました。

なりわいとしての音楽と並行して、情熱を傾けたのが、大槌をテーマにした作曲活動。震災から4、5年が経った時期、震災の“風化”が指摘され始め、臺さん自身も記憶が遠のくのを実感していました。「震災の経験や負の感情を(音楽という)パッケージにして残しておこう」と曲を書き始めると、避難所での目をそむけたくなる現実や言葉にならない感情を整理して心の中に保存できるようになっていきました。

負の記憶が中心だった曲のテーマは、大槌の美しい風景や自然、長い歳月受け継がれてきた文化へと移り変わり、最近では、郷土芸能の「雁舞道(がんまいどう)七福神」をモチーフにした楽曲を吹奏楽部の後輩たちに提供しました。
高校卒業後、上京し、専門学校へ。 音楽のプロを目指して全国から集まった同級生は皆、臺さんが想像していた以上に個性的な顔ぶれ。10代にして既に独自の世界観を築き上げ、音楽家としての哲学を持っている同世代の存在に驚かされました。

同世代とともに音楽漬けの日々を送り、一線で活躍するプロの演奏を目の当たりにすると、おのずと「自分はどう音楽と向き合っていきたいのか」。自問自答せずにはいられませんでした。

問いかけ続けるうちにみえてきたのは、故郷の大槌でトランペットを吹く自分の姿でした。上京してからも月1回、大槌に帰って後輩たちの吹奏楽を指導し、町内でのイベントでの演奏を重ねる中で、「やっぱり、演奏していて一番楽しいのは、大槌なんだ」と気づきました。「一度離れてみて、大槌のこの温度感で演奏したいという気持ちがはっきりしました」そう振り返ります。

中でも鮮明に憶えているのは、アメリカのジャズバンド“OTONOWA”のツアーに同行して、生まれ育った大槌に本場のジャズを届けたこと。子どものころから臺さんを知っている人や同級生の熱気に包まれ、一流の奏者とトランペットを吹くうちに、未来の自分のありたい姿が浮かび上がりました。

専門学校では様々なジャンルの音楽を学び、卒業後は、ミュージシャンのバックでのバンド演奏や、映像作品への参加、小学校に本物の音楽を届ける演奏家派遣事業に参加するなど、音楽の世界で多彩な経験を積みました。

なりわいとしての音楽と並行して、情熱を傾けたのが、大槌をテーマにした作曲活動。震災から4、5年が経った時期、震災の“風化”が指摘され始め、臺さん自身も記憶が遠のくのを実感していました。「震災の経験や負の感情を(音楽という)パッケージにして残しておこう」と曲を書き始めると、避難所での目をそむけたくなる現実や言葉にならない感情を整理して心の中に保存できるようになっていきました。

負の記憶が中心だった曲のテーマは、大槌の美しい風景や自然、長い歳月受け継がれてきた文化へと移り変わり、最近では、郷土芸能の「雁舞道(がんまいどう)七福神」をモチーフにした楽曲を吹奏楽部の後輩たちに提供しました。

「やりきった」充実感
次のキャリアは大槌ちおこ

東京を拠点に経験を重ね、30歳を機に「大槌の空気を吸って、大槌の温度感で演奏する」という未来予想図を実行に移しました。そこには「音楽の世界でやりたいことはやれた」という充実感がありました。

大槌での働き方を相談する中で、父・隆明さんから、ちおこ(地域おこし協力隊)を勧められ、観光交流協会でちおこインターンを体験。インターンという立場にもかかわらず、大きなイベントの企画を任されました。

この時に活きたのが、東京で活動していたころ、演奏だけでなく、子どもや観客に向けて講演をしたり、自ら司会進行をしたりと、1人で何役もこなしていた経験でした。「どんな経験も必ず大槌で生かす。そう決めて何でもやってきたことが思いのほか早く役に立ちました(笑)」

即戦力としての素質が見込まれ、採用。ちおことして、サーモン祭りや大槌祭りなどイベントの企画や、町内外の関係者との調整などを担っています。「毎日、本当に忙しいですが、大槌は思っていた以上におもしろいものがたくさんあるんだということを実感する毎日です」。

そして、30代で地元に戻り、アイデンティティへの理解もさらに深まりました。「僕は常にいろんなものの中間が居心地が良くて。演奏者と聴衆の間。大槌の内と外。行政と民間。これからもいろんなジャンルの間に立って橋渡しをしていきたいです」

そんな臺さんは、音楽で大槌の内と外とをつなぐ活動を続けながら、同世代と町の未来図を描く場もつくろうと計画しています。それは、臺さんたち若い世代にとっては、まだ町の復興は終わっていないように見えるから。「100人の町民がいれば、100通りの復興の定義がありますが、僕にとっては、文化の復興が町の復興だと思うんです。衣食住が満たされるだけでなく、町民が自分でお金を出して、音楽や芸術、文化を楽しみ、自分たちで新しい文化を創り出す。そうすれば、大槌は唯一無二の個性的な町になれる。僕たち自身で町のこれからを描いていきたいです」
(2025年12月取材)
東京を拠点に経験を重ね、30歳を機に「大槌の空気を吸って、大槌の温度感で演奏する」という未来予想図を実行に移しました。そこには「音楽の世界でやりたいことはやれた」という充実感がありました。

大槌での働き方を相談する中で、父・隆明さんから、ちおこ(地域おこし協力隊)を勧められ、観光交流協会でちおこインターンを体験。インターンという立場にもかかわらず、大きなイベントの企画を任されました。

この時に活きたのが、東京で活動していたころ、演奏だけでなく、子どもや観客に向けて講演をしたり、自ら司会進行をしたりと、1人で何役もこなしていた経験でした。「どんな経験も必ず大槌で生かす。そう決めて何でもやってきたことが思いのほか早く役に立ちました(笑)」

即戦力としての素質が見込まれ、採用。ちおことして、サーモン祭りや大槌祭りなどイベントの企画や、町内外の関係者との調整などを担っています。「毎日、本当に忙しいですが、大槌は思っていた以上におもしろいものがたくさんあるんだということを実感する毎日です」。

そして、30代で地元に戻り、アイデンティティへの理解もさらに深まりました。「僕は常にいろんなものの中間が居心地が良くて。演奏者と聴衆の間。大槌の内と外。行政と民間。これからもいろんなジャンルの間に立って橋渡しをしていきたいです」

そんな臺さんは、音楽で大槌の内と外とをつなぐ活動を続けながら、同世代と町の未来図を描く場もつくろうと計画しています。それは、臺さんたち若い世代にとっては、まだ町の復興は終わっていないように見えるから。「100人の町民がいれば、100通りの復興の定義がありますが、僕にとっては、文化の復興が町の復興だと思うんです。衣食住が満たされるだけでなく、町民が自分でお金を出して、音楽や芸術、文化を楽しみ、自分たちで新しい文化を創り出す。そうすれば、大槌は唯一無二の個性的な町になれる。僕たち自身で町のこれからを描いていきたいです」
(2025年12月取材)

取材、記事:手塚さや香

写真:石川貴子

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運営:一般社団法人 おらが大槌夢広場 / 大槌町移住定住事務局

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otsuchiiju@gmail.com|080-8162-8516

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