代々、大槌に続く臺家に生を受け、音楽を愛する父・隆明さんのもと、物心ついた頃から音楽がいつも暮らしのそばにある環境で育ちました。
幼いころはエレクトーンも習っていた臺さんが、少年時代に夢中になったのは、小学4年生の時に出会ったトランペットでした。中学校では吹奏楽部に所属し、「人生の師」と仰ぐ先生との出会いをきっかけに、トランペットの虜になりました。
吹奏楽が盛んで、岩手県内のコンクールでは有数の強豪校だった大槌高校。吹奏楽部に入ってからは、音楽への情熱は増すばかり。先輩や同級生の仲間たちとともに、練習に打ち込み、演奏の練習はもちろんのこと、肺活量を増やすために、廊下で腹筋をしたり、川沿いをランニングしたり……部員は皆、楽器を愛し、音楽と共に日々を生きる、そんな青春を送りました。
しかし、当たり前に続いていた日常は、高校1年生の時、突如として終わりを告げました。2011年3月11日、東日本大震災。吹奏楽部の仲間たちとのたくさんの思い出の詰まった学校は、その日の夕方、避難所へと姿を変えました。
山際に建つ高校は高いところにあり無事でしたが、その東側に広がっていた大槌の町は跡形もなくなりました。大槌高校の生徒の多くは家族を亡くし、自宅を失いました。新学期が始まると、楽しかった学校の空気は一変していました。
震災後から数か月たつと、吹奏楽部のもとには、県内外のイベントでの演奏依頼が舞い込むようになりました。全国からの支援はありがたく思う一方、“被災地から来た高校生”としてステージに立つたび、臺さんの心には葛藤が生まれていました。
「“被災者”と見られるのが嫌で、とくに大槌から遠く離れた岩手県外の演奏に呼ばれると、『被災したかわいそうな子どもたち』という役割を期待されているんじゃないかと疑心暗鬼になってしまった時期もありました」
そんな臺さんら部員たちの強張った心を溶きほぐしたのは、観客からの拍手でした。ひとつの空間で音楽を分かち合った後に会場の人たちと話してみると、強張っていた臺さんの心がほぐれていきました。「演奏を聞きに来てくれた人たちは皆、僕たちを昔から知っている友達のように温かく受け入れてくれたんです。こういう場を生み出せる音楽ってやっぱりすごいなと思い、音楽の世界に飛び込もうと決めました」。臺さんが音楽の道を志した瞬間でした。
代々、大槌に続く臺家に生を受け、音楽を愛する父・隆明さんのもと、物心ついた頃から音楽がいつも暮らしのそばにある環境で育ちました。
幼いころはエレクトーンも習っていた臺さんが、少年時代に夢中になったのは、小学4年生の時に出会ったトランペットでした。中学校では吹奏楽部に所属し、「人生の師」と仰ぐ先生との出会いをきっかけに、トランペットの虜になりました。
吹奏楽が盛んで、岩手県内のコンクールでは有数の強豪校だった大槌高校。吹奏楽部に入ってからは、音楽への情熱は増すばかり。先輩や同級生の仲間たちとともに、練習に打ち込み、演奏の練習はもちろんのこと、肺活量を増やすために、廊下で腹筋をしたり、川沿いをランニングしたり……部員は皆、楽器を愛し、音楽と共に日々を生きる、そんな青春を送りました。
しかし、当たり前に続いていた日常は、高校1年生の時、突如として終わりを告げました。2011年3月11日、東日本大震災。吹奏楽部の仲間たちとのたくさんの思い出の詰まった学校は、その日の夕方、避難所へと姿を変えました。
山際に建つ高校は高いところにあり無事でしたが、その東側に広がっていた大槌の町は跡形もなくなりました。大槌高校の生徒の多くは家族を亡くし、自宅を失いました。新学期が始まると、楽しかった学校の空気は一変していました。
震災後から数か月たつと、吹奏楽部のもとには、県内外のイベントでの演奏依頼が舞い込むようになりました。全国からの支援はありがたく思う一方、“被災地から来た高校生”としてステージに立つたび、臺さんの心には葛藤が生まれていました。
「“被災者”と見られるのが嫌で、とくに大槌から遠く離れた岩手県外の演奏に呼ばれると、『被災したかわいそうな子どもたち』という役割を期待されているんじゃないかと疑心暗鬼になってしまった時期もありました」
そんな臺さんら部員たちの強張った心を溶きほぐしたのは、観客からの拍手でした。ひとつの空間で音楽を分かち合った後に会場の人たちと話してみると、強張っていた臺さんの心がほぐれていきました。「演奏を聞きに来てくれた人たちは皆、僕たちを昔から知っている友達のように温かく受け入れてくれたんです。こういう場を生み出せる音楽ってやっぱりすごいなと思い、音楽の世界に飛び込もうと決めました」。臺さんが音楽の道を志した瞬間でした。