2026.8.27

  • Uターン

被災した故郷に
心地よく過ごせる住まいを

いわま・たえこ

岩間妙子さん

大槌町出身。大学で建築を学んだ後、仙台市内の設計事務所や都市コンサルティング会社に勤務。2018年に大槌町で設計事務所「アトリエ・イスト」を構え、住宅や店舗の再建などを手がける。復興関連の仕事が落ち着いてからは、同年代の友人たちと一緒に過ごしたり、ドライブするのが日々の楽しみ。

2026.8.27

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被災した故郷に
心地よく過ごせる住まいを

いわま・たえこ

岩間妙子さん

大槌町出身。大学で建築を学んだ後、仙台市内の設計事務所や都市コンサルティング会社に勤務。2018年に大槌町で設計事務所「アトリエ・イスト」を構え、住宅や店舗の再建などを手がける。復興関連の仕事が落ち着いてからは、同年代の友人たちと一緒に過ごしたり、ドライブするのが日々の楽しみ。

大槌町で生まれ育ち、仙台で建築の道を歩んでいた岩間妙子さん。17年暮らした仙台から実家に戻ってきたのは、東日本大震災のわずか3ヶ月前でした。幼少期からなじみのある釜石市の復興計画の策定にかかわった後、大槌で被災した人たちの住宅再建のための図面を引き続けました。自身も被災者でありながら、復興の最前線に身を置き続けた時期を経て、気がつけば大槌に心地よい自分の居場所を創り出していました。

地域と外部をつなぐ
“コミュニティ・アーキテクト”

岩間さんが幼い頃、実家の居間にはドラフター(製図台)が置かれ、何種類もの建築専門誌や建築関係の書籍が壁一面に並んでいました。父・正行さんは長年、釜石市の建築専門の技師として公共施設の設計を担ってきた一級建築士で、家でも趣味で図面を引いていました。「子どものころは、何かを描いている父を見て、絵を描いてそれが仕事になるなんていいなあと思っていたんです」と岩間さんは微笑みながら幼少期を振り返ります。

県立釜石南高校に入学した時から「大学では建築を学ぼう」と理系のクラスを選択し、建築学科へ進学しました。卒業後は大規模建築を手掛ける組織設計事務所や建築家のアトリエ事務所、都市計画コンサルティング会社などで経験を重ねました。「正直に言うと、そんなに高い志を持って働いていたわけではないんです」と控えめに語りますが、仙台で働く中で培ってきた豊富な経験と人とのつながりは、震災後に復興にかかわる岩間さんの礎になりました。

人生を大きく変えたのは、2011年の東日本大震災。震災のわずか3ヶ月前、仙台での仕事を辞め、これからの仕事や生活を考えるために大槌に戻ってきていた岩間さんは、大津波に追われ九死に一生を得ました。町の中心部にあった自宅は流され、家族と一緒に釜石市内の祖母の家に身を寄せました。

大槌町では津波に起因した火災も発生し、多くの住民の安否が分からない過酷な状況の中、仙台で一緒に働いた仲間たちがさまざまな支援物資やすぐに使えるパソコンを積み込んで、岩間さんのもとへ駆けつけました。

建築を通じた温かいつながりに背中を押され、これから果たすべき役割がおのずと見えてきました。釜石の市街地の復旧・復興に向けた都市計画をつくるため、建設コンサルタントという立場で釜石市のサポートをすることになったのです。

震災前のまちなみに思い入れのある地域住民、安全でにぎわいの感じられる新しいエリアにしようと考える行政や専門家……時にはそれぞれの思いがうまくかみ合わない場面もありました。そんな時、被災し傷ついた住民と、外部有識者やコンサルティング会社などとの間に立ち、丁寧に調整を重ねました。

「当然ですが、地域の人たちと外部の支援者との間には温度感の違いがありました。私は地元の人間として地域の人たちの言葉を翻訳し、計画をつくる人たちにつなぐ役割でした」。「当時は使命感というよりも、目の前のやるべきことをやるのが、ただただ当たり前でした」岩間さんはそう振り返ります。のちに、一緒に仕事をした都市計画の研究者は、岩間さんの果たしてきた役割を「コミュニティ・アーキテクト」と呼ぶのだと教えてくれました。
岩間さんが幼い頃、実家の居間にはドラフター(製図台)が置かれ、何種類もの建築専門誌や建築関係の書籍が壁一面に並んでいました。父・正行さんは長年、釜石市の建築専門の技師として公共施設の設計を担ってきた一級建築士で、家でも趣味で図面を引いていました。「子どものころは、何かを描いている父を見て、絵を描いてそれが仕事になるなんていいなあと思っていたんです」と岩間さんは微笑みながら幼少期を振り返ります。

県立釜石南高校に入学した時から「大学では建築を学ぼう」と理系のクラスを選択し、建築学科へ進学しました。卒業後は大規模建築を手掛ける組織設計事務所や建築家のアトリエ事務所、都市計画コンサルティング会社などで経験を重ねました。「正直に言うと、そんなに高い志を持って働いていたわけではないんです」と控えめに語りますが、仙台で働く中で培ってきた豊富な経験と人とのつながりは、震災後に復興にかかわる岩間さんの礎になりました。

人生を大きく変えたのは、2011年の東日本大震災。震災のわずか3ヶ月前、仙台での仕事を辞め、これからの仕事や生活を考えるために大槌に戻ってきていた岩間さんは、大津波に追われ九死に一生を得ました。町の中心部にあった自宅は流され、家族と一緒に釜石市内の祖母の家に身を寄せました。

大槌町では津波に起因した火災も発生し、多くの住民の安否が分からない過酷な状況の中、仙台で一緒に働いた仲間たちがさまざまな支援物資やすぐに使えるパソコンを積み込んで、岩間さんのもとへ駆けつけました。

建築を通じた温かいつながりに背中を押され、これから果たすべき役割がおのずと見えてきました。釜石の市街地の復旧・復興に向けた都市計画をつくるため、建設コンサルタントという立場で釜石市のサポートをすることになったのです。

震災前のまちなみに思い入れのある地域住民、安全でにぎわいの感じられる新しいエリアにしようと考える行政や専門家……時にはそれぞれの思いがうまくかみ合わない場面もありました。そんな時、被災し傷ついた住民と、外部有識者やコンサルティング会社などとの間に立ち、丁寧に調整を重ねました。

「当然ですが、地域の人たちと外部の支援者との間には温度感の違いがありました。私は地元の人間として地域の人たちの言葉を翻訳し、計画をつくる人たちにつなぐ役割でした」。「当時は使命感というよりも、目の前のやるべきことをやるのが、ただただ当たり前でした」岩間さんはそう振り返ります。のちに、一緒に仕事をした都市計画の研究者は、岩間さんの果たしてきた役割を「コミュニティ・アーキテクト」と呼ぶのだと教えてくれました。

新しい家を待つ人たちのために
復興の進捗を肌で感じた日々

机上と対話を行き来しながらの計画策定が進み、復興工事が動き始めました。甚大な被害を受けた大槌町でも、住宅地を整備するための盛り土工事が始まり、住宅再建の道筋が見えてきました。宅地整備が進み始めた2015年には正行さんらとともに住宅再建のための設計の仕事を始め、2018年には設計事務所「アトリエ・イスト」を立ち上げました。

岩間さんはひたすら、失われた住まいを取り戻すための第一歩である設計の仕事に打ち込みました。仮設住宅での暮らしから一刻も早く抜け出したいと願う人たちの新居への希望に耳を傾け、図面に落とし込みました。「あのころは本当に仕事ばかりしていました。新しい家を待っている人がいるのに、自分が遊びに行くわけにはいかないと思うと、休む気になれませんでした」

造成工事が終わった区画から少しずつ住宅着工が始まり、震災から10年たつころには、住宅や店舗を再建する仕事は落ち着きを見せ、新規事業や事業拡大のための店舗や移動店舗(キッチンカー)のデザインや付随するロゴやメニューといったグラフィックデザインの依頼も舞い込むようになりました。

自身の毎日の仕事を通じて、まちが復興し、新たな産業も生まれるのを実感してきた岩間さん。震災直前に帰郷した当時は、仙台か東京で次の仕事をしようと考えていましたが、復興に深く関わる中で、「ここを離れる」という選択肢は自然となくなっていきました。
机上と対話を行き来しながらの計画策定が進み、復興工事が動き始めました。甚大な被害を受けた大槌町でも、住宅地を整備するための盛り土工事が始まり、住宅再建の道筋が見えてきました。宅地整備が進み始めた2015年には正行さんらとともに住宅再建のための設計の仕事を始め、2018年には設計事務所「アトリエ・イスト」を立ち上げました。

岩間さんはひたすら、失われた住まいを取り戻すための第一歩である設計の仕事に打ち込みました。仮設住宅での暮らしから一刻も早く抜け出したいと願う人たちの新居への希望に耳を傾け、図面に落とし込みました。「あのころは本当に仕事ばかりしていました。新しい家を待っている人がいるのに、自分が遊びに行くわけにはいかないと思うと、休む気になれませんでした」

造成工事が終わった区画から少しずつ住宅着工が始まり、震災から10年たつころには、住宅や店舗を再建する仕事は落ち着きを見せ、新規事業や事業拡大のための店舗や移動店舗(キッチンカー)のデザインや付随するロゴやメニューといったグラフィックデザインの依頼も舞い込むようになりました。

自身の毎日の仕事を通じて、まちが復興し、新たな産業も生まれるのを実感してきた岩間さん。震災直前に帰郷した当時は、仙台か東京で次の仕事をしようと考えていましたが、復興に深く関わる中で、「ここを離れる」という選択肢は自然となくなっていきました。

腹の据わった大槌の人たちと
この土地で暮らす

「仕事ばかりしてきた」と振り返る復興期を経て、時間的にも精神的にもゆとりを持って、仕事と暮らしの両方を楽しめるように。「空間にまつわるさまざまなもののデザインをしてきて、やっぱり私は何かをデザインすることが好きなんだと実感しています」。無垢の仕上材や天然素材の布など、心地良さをつくり出す要素である素材選びやインテリアデザインへと関心は広がります。

自身の暮らす場所として、自然に近い大槌の環境が自分には合っていると気づいたと話す岩間さん。「大好きな大槌の海が望める場所で過ごしたい」という思いから、新たなアトリエを構える土地に思いを巡らせながら、実家の愛犬とともに海の近くを散歩するのが癒しの時間です。

岩間さんが考える大槌の魅力は、「腹が据わっている」大槌の人たちのキャラクター。2026年4月に発生した大規模な山林火事の際には、自宅に火の手が迫る中でも消防職員や消防団のために炊き出しを続ける女性たちや、自分や家族のことは後回しにして住民のために奔走する若い町職員たちを目の当たりにし、「大槌の人はどんな状況でも自分のやるべきことに全力で向き合う強さがある」そう実感したと言います。

大槌の自然に囲まれた日々の中で、これからも大槌の人たちのために、心地よい空間を作り続けます。
(2026年7月取材)
「仕事ばかりしてきた」と振り返る復興期を経て、時間的にも精神的にもゆとりを持って、仕事と暮らしの両方を楽しめるように。「空間にまつわるさまざまなもののデザインをしてきて、やっぱり私は何かをデザインすることが好きなんだと実感しています」。無垢の仕上材や天然素材の布など、心地良さをつくり出す要素である素材選びやインテリアデザインへと関心は広がります。

自身の暮らす場所として、自然に近い大槌の環境が自分には合っていると気づいたと話す岩間さん。「大好きな大槌の海が望める場所で過ごしたい」という思いから、新たなアトリエを構える土地に思いを巡らせながら、実家の愛犬とともに海の近くを散歩するのが癒しの時間です。

岩間さんが考える大槌の魅力は、「腹が据わっている」大槌の人たちのキャラクター。2026年4月に発生した大規模な山林火事の際には、自宅に火の手が迫る中でも消防職員や消防団のために炊き出しを続ける女性たちや、自分や家族のことは後回しにして住民のために奔走する若い町職員たちを目の当たりにし、「大槌の人はどんな状況でも自分のやるべきことに全力で向き合う強さがある」そう実感したと言います。

大槌の自然に囲まれた日々の中で、これからも大槌の人たちのために、心地よい空間を作り続けます。
(2026年7月取材)

取材、記事:手塚さや香

写真:石川貴子

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運営:一般社団法人 おらが大槌夢広場 / 大槌町移住定住事務局

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