寄せる波ばかりで返す波がない「片寄せ波」の浜として知られる浪板海岸に並ぶ三角屋根の小屋。そのひとつに店を構えるのがサーフショップ「k-surf」です。サーフボードやサーフグッズ、ハワイアンテイストのファッションアイテムが並ぶ店内の窓の向こうは砂浜。太平洋につながる船越湾が光を浴びてキラキラと光ります。
オーナーの杉本さんは大槌町の南隣・釜石市の出身で、サーフィンを始めたのは中学生のころ。地元の先輩が経営する市内のサーフショップでサーフボードを手に入れ、向かったのが浪板海岸でした。浪板の海は三陸では珍しい遠浅で、初心者がサーフィンをするのに適していました。
すぐに夢中になった杉本さん。「波とタイミングがあった時の気持よさはそれまで味わったことのないものだった」と振り返ります。高校に入って間もなく「プロサーファーになろう」と決意すると、翌年には浪板に通うためバイクの免許を取得。一年中通い、テクニックを磨きました。
「海外とのレベルの差を埋めたい」との思いでまずは福島や湘南へ。19歳で渡米し、カリフォルニアに半年間滞在しました。海の街で暮らすアメリカ人たちのライフスタイルは、若き日の杉本さんに鮮烈な印象を与えました。海と言えば漁港、そんなイメージの三陸との違いは大きかったと振り返ります。当時、日本ではサーフィンと言えば“若者のカルチャー”。一方、サーフィン先進国のアメリカでは小さな子どもから高齢者まで家族みんなで世代を超えて楽しむレジャーでした。「当時は自分が50代になってサーフィンを続けているとは思わなかった」と笑います。
帰国後、「トライアル」と呼ばれる大会で成績を上げ、23歳でプロに。当時の日本はバブル経済の真っ只中。時給の良いホテルの配膳のアルバイトをしながら、国内やハワイの大会に出場する日々を送りました。
寄せる波ばかりで返す波がない「片寄せ波」の浜として知られる浪板海岸に並ぶ三角屋根の小屋。そのひとつに店を構えるのがサーフショップ「k-surf」です。サーフボードやサーフグッズ、ハワイアンテイストのファッションアイテムが並ぶ店内の窓の向こうは砂浜。太平洋につながる船越湾が光を浴びてキラキラと光ります。
オーナーの杉本さんは大槌町の南隣・釜石市の出身で、サーフィンを始めたのは中学生のころ。地元の先輩が経営する市内のサーフショップでサーフボードを手に入れ、向かったのが浪板海岸でした。浪板の海は三陸では珍しい遠浅で、初心者がサーフィンをするのに適していました。
すぐに夢中になった杉本さん。「波とタイミングがあった時の気持よさはそれまで味わったことのないものだった」と振り返ります。高校に入って間もなく「プロサーファーになろう」と決意すると、翌年には浪板に通うためバイクの免許を取得。一年中通い、テクニックを磨きました。
「海外とのレベルの差を埋めたい」との思いでまずは福島や湘南へ。19歳で渡米し、カリフォルニアに半年間滞在しました。海の街で暮らすアメリカ人たちのライフスタイルは、若き日の杉本さんに鮮烈な印象を与えました。海と言えば漁港、そんなイメージの三陸との違いは大きかったと振り返ります。当時、日本ではサーフィンと言えば“若者のカルチャー”。一方、サーフィン先進国のアメリカでは小さな子どもから高齢者まで家族みんなで世代を超えて楽しむレジャーでした。「当時は自分が50代になってサーフィンを続けているとは思わなかった」と笑います。
帰国後、「トライアル」と呼ばれる大会で成績を上げ、23歳でプロに。当時の日本はバブル経済の真っ只中。時給の良いホテルの配膳のアルバイトをしながら、国内やハワイの大会に出場する日々を送りました。