2025.5.26

  • 大槌育ち

「地域に再び、にぎわいを」
おだんごに思いを込めて

ふじわら・やえ

藤原ヤエさん

1941(昭和16)年生まれ。定年後に独学でだんごづくりを始め、おだんご屋さん「大屋団子」を開業。名前の由来は、屋号の「大家」から。趣味はお友達との“お茶っこ”。岩手県出身の力士や野球選手、演歌歌手を応援しており、テレビでの観戦やコンサートに出向いての推し活も楽しんでいる。

2025.5.26

  • 大槌育ち

「地域に再び、にぎわいを」
おだんごに思いを込めて

ふじわら・やえ

藤原ヤエさん

1941(昭和16)年生まれ。定年後に独学でだんごづくりを始め、おだんご屋さん「大屋団子」を開業。名前の由来は、屋号の「大家」から。趣味はお友達との“お茶っこ”。岩手県出身の力士や野球選手、演歌歌手を応援しており、テレビでの観戦やコンサートに出向いての推し活も楽しんでいる。

すいとんに似た“ひっつみ”、甘じょっぱい餡かけうどんの“すっぷく”……。大槌町には色々な郷土料理がありますが、訪れた皆さんが気軽に買い求められるものと言えば、道の駅や産直に並ぶ旅のおやつ――おだんごです。小鎚地区に暮らす藤原ヤエさんが作るおだんごは、多くの人に親しまれ、時に癒し、地域に寄り添い続けてきました。今日もヤエさんはおだんごを通して、ふるさとの風景に息づく人々の暮らしと未来を見つめています。

大槌町民に愛されてきた
自慢の“ヤエさんだんご”

「取材と言ったって、普段の“お茶っこ”みてぇな話しかできねぇよぉ」。
そう言って、ヤエさんは照れくさそうに笑いました。
待ち合わせ場所は大槌町のショッピングモール、シーサイドタウンマスト。日々の買い物でよく訪れているそうで、ヤエさんはこの日もショッピングカートを押していました。お友達や知り合いと行き会うことも多く、顔なじみの店員さんたちから「ヤエさん、寄っていって」などと声をかけられることもあるのだとか。

ヤエさんが営む「大屋団子」(おおやだんご)は、地域の人から長年愛されているおだんご屋さんです。米だんごに小麦だんご、郷土料理の“かまだんご”などを町内の産直で販売しています。また、一歳のお祝いでお子さんの幸せや健やかな成長を祈願する一升餅などの受注販売も行っているそうです。こうした注文に対応できるお店は限られるため、産直に問い合わせがあったり、人づてに注文が入ることも少なくありません。
「3月は春彼岸用の彼岸だんご、4月は入学祝いの紅白大福。いやぁ、忙しかった!」。

おだんご屋さんは現在、ヤエさんと娘さんの二人で切り盛りしています。加工場があるのは、大槌町小鎚地区の山間部、一の渡(いちのわたり)。ヤエさんの自宅の隣です。おだんごやお餅の決め手となる粉は、懇意にしていた町内の商店が東日本大震災で被災・廃業したため、宮古市の粉問屋から仕入れているそうです。小豆は北海道産のものを使っており、豆が大きくふっくら炊けて、おだんごには欠かせないのだとか。ヤエさんは「粉と水の配合、小豆と砂糖のバランスは企業秘密さ!」と、にっこり。ヨモギを使った草餅は、中でも自慢の一品です。
「お客さんとの繋がりを大事にして、なんとかここまでやってきた。『やっぱりヤエさんのだんごがおいしい』って言ってもらえると、嬉しいね」。

ヤエさんがおだんご屋さんを始めたのは、61歳のとき。当時、自宅を建てたばかりだったため「子どもたちのためにまだまだお金を稼がなければ」という思いからでした。
「取材と言ったって、普段の“お茶っこ”みてぇな話しかできねぇよぉ」。
そう言って、ヤエさんは照れくさそうに笑いました。
待ち合わせ場所は大槌町のショッピングモール、シーサイドタウンマスト。日々の買い物でよく訪れているそうで、ヤエさんはこの日もショッピングカートを押していました。お友達や知り合いと行き会うことも多く、顔なじみの店員さんたちから「ヤエさん、寄っていって」などと声をかけられることもあるのだとか。

ヤエさんが営む「大屋団子」(おおやだんご)は、地域の人から長年愛されているおだんご屋さんです。米だんごに小麦だんご、郷土料理の“かまだんご”などを町内の産直で販売しています。また、一歳のお祝いでお子さんの幸せや健やかな成長を祈願する一升餅などの受注販売も行っているそうです。こうした注文に対応できるお店は限られるため、産直に問い合わせがあったり、人づてに注文が入ることも少なくありません。
「3月は春彼岸用の彼岸だんご、4月は入学祝いの紅白大福。いやぁ、忙しかった!」。

おだんご屋さんは現在、ヤエさんと娘さんの二人で切り盛りしています。加工場があるのは、大槌町小鎚地区の山間部、一の渡(いちのわたり)。ヤエさんの自宅の隣です。おだんごやお餅の決め手となる粉は、懇意にしていた町内の商店が東日本大震災で被災・廃業したため、宮古市の粉問屋から仕入れているそうです。小豆は北海道産のものを使っており、豆が大きくふっくら炊けて、おだんごには欠かせないのだとか。ヤエさんは「粉と水の配合、小豆と砂糖のバランスは企業秘密さ!」と、にっこり。ヨモギを使った草餅は、中でも自慢の一品です。
「お客さんとの繋がりを大事にして、なんとかここまでやってきた。『やっぱりヤエさんのだんごがおいしい』って言ってもらえると、嬉しいね」。

ヤエさんがおだんご屋さんを始めたのは、61歳のとき。当時、自宅を建てたばかりだったため「子どもたちのためにまだまだお金を稼がなければ」という思いからでした。

自分のため、地域のため
だんご屋と産直をオープン

ヤエさんが生まれ育ったのは、大槌町の中心部にほど近い大ケ口地区。5人兄弟の次女だったヤエさんは、19歳になると農協で働き始め、24歳のとき3つ年上のご主人と結婚。小鎚地区の農家だった藤原家に嫁ぎ、義理のご両親から厳しい指導を受けながら、慣れない農作業を日々懸命にこなしました。4人のお子さんたちが大きくなると再び働きに出て、地元のガソリンスタンドに27年間勤務し、定年を迎えました。

定年後も働き続ける方法を模索していたヤエさん。偶然、町役場が発行する広報誌「広報おおつち」の中に、食生活改善推進員の記事を見つけました。食卓を彩り豊かにし、地域の健康づくりを担う活動に加わるうち、メンバーが朝市に参加していることを知ります。
畑で採れた野菜や手作りのおだんご、郷土料理などが並び、地域の人たちが賑やかに売り買いをしている光景に、ヤエさんは「これなら私にもできるんじゃないか」と感じたそうです。そして3人の仲間とグループを作り、朝市に出店するようになりました。

やがて、当時の沿岸広域振興局長の助言やサポートもあり、おだんご屋さん「大屋団子」を開業。さらに「つつじの里」という団体を立ち上げ、ヤエさんが初代会長となって小鎚地区に産直をオープンさせました。
「つつじの里」という名前は、小鎚地区の名所である新山高原に咲き誇る「新山つつじ(レンゲツツジ)」から名付けました。毎年5月下旬から6月初旬にかけて、一帯がオレンジ色に染まる様子は、ヤエさんが大好きな風景の一つです。
「ちょうど、小鎚小学校が廃校になる頃だったべか。子どもが少なくなって、どんどん元気がなくなっていく小鎚を何とかしたくて産直を作った。どうせなら地域のみんなで、孫にお小遣いをたくさんあげられて家計の手助けができる――そんなじいちゃん・ばあちゃんになりたいものね」。
気付けば、おだんご屋さんと産直を始めてから、20年以上の時間が経とうとしています。

ヤエさんのご主人は、隣町でホテルマンとして定年まで勤務し、お酒は飲まないけれど煙草が好きな人でした。「私にとっては、いい旦那さんだった」と、ヤエさんは目を細めます。ご主人は数年前、85歳のときに亡くなりました。
「ケンカ相手がいなくなると、やっぱりさみしいもんだ……」。
おだんごを楽しみにしてくれているお客さんやお友達の存在が、ヤエさんの心の支えです。
ヤエさんが生まれ育ったのは、大槌町の中心部にほど近い大ケ口地区。5人兄弟の次女だったヤエさんは、19歳になると農協で働き始め、24歳のとき3つ年上のご主人と結婚。小鎚地区の農家だった藤原家に嫁ぎ、義理のご両親から厳しい指導を受けながら、慣れない農作業を日々懸命にこなしました。4人のお子さんたちが大きくなると再び働きに出て、地元のガソリンスタンドに27年間勤務し、定年を迎えました。

定年後も働き続ける方法を模索していたヤエさん。偶然、町役場が発行する広報誌「広報おおつち」の中に、食生活改善推進員の記事を見つけました。食卓を彩り豊かにし、地域の健康づくりを担う活動に加わるうち、メンバーが朝市に参加していることを知ります。
畑で採れた野菜や手作りのおだんご、郷土料理などが並び、地域の人たちが賑やかに売り買いをしている光景に、ヤエさんは「これなら私にもできるんじゃないか」と感じたそうです。そして3人の仲間とグループを作り、朝市に出店するようになりました。

やがて、当時の沿岸広域振興局長の助言やサポートもあり、おだんご屋さん「大屋団子」を開業。さらに「つつじの里」という団体を立ち上げ、ヤエさんが初代会長となって小鎚地区に産直をオープンさせました。
「つつじの里」という名前は、小鎚地区の名所である新山高原に咲き誇る「新山つつじ(レンゲツツジ)」から名付けました。毎年5月下旬から6月初旬にかけて、一帯がオレンジ色に染まる様子は、ヤエさんが大好きな風景の一つです。
「ちょうど、小鎚小学校が廃校になる頃だったべか。子どもが少なくなって、どんどん元気がなくなっていく小鎚を何とかしたくて産直を作った。どうせなら地域のみんなで、孫にお小遣いをたくさんあげられて家計の手助けができる――そんなじいちゃん・ばあちゃんになりたいものね」。
気付けば、おだんご屋さんと産直を始めてから、20年以上の時間が経とうとしています。

ヤエさんのご主人は、隣町でホテルマンとして定年まで勤務し、お酒は飲まないけれど煙草が好きな人でした。「私にとっては、いい旦那さんだった」と、ヤエさんは目を細めます。ご主人は数年前、85歳のときに亡くなりました。
「ケンカ相手がいなくなると、やっぱりさみしいもんだ……」。
おだんごを楽しみにしてくれているお客さんやお友達の存在が、ヤエさんの心の支えです。

人と人が繋がり、
豊かな自然が巡るふるさと

昔から、困っている人は放っておけない性分だというヤエさん。東日本大震災のときは、被災した親族を自宅に迎え入れ、蓄えていたお米でおにぎりを作っては近くの避難所で配るなど、失意の中にいた大槌町民の心に寄り添いました。
特に印象に残っているのが、自衛隊や警察官の皆さんの姿です。
「一生懸命やってくれている姿が目に入って、思わず車を停めて話しかけた。『ありがとうね、これはあんたたちが食べるんだよ』って、おにぎりやだんごを持たせたの。きっと、自分たちの食事は後回しにしているだろうと思って……。県外から来てくれた人たちだったのかもしれないね。深々と頭を下げられて、涙ぐんでしまった」。
本格的な復興工事が始まると、全国から大槌町役場へ派遣された応援職員さんや支援団体とも交流を重ね、自慢のおだんごや郷土料理で感謝の思いを伝え続けてきました。

2025年2月に開催された大槌町への移住体験ツアー「きてみっつあー」では、地域のお料理名人として、県外から集まった参加者の皆さんと一緒に郷土料理づくりにチャレンジしました。ヤエさんが担当したのはもちろんおだんご。この日のメニューは、大槌町民に“すすりだんご”や“へっちょこだんご”と親しまれているお汁粉です。
慣れない作業に苦戦する参加者さんもいる中、ヤエさんの手からは次々と丸いおだんごが生み出されます。質問を受けてアドバイスをしたり、世間話をしながらの楽しい時間の中で、ヤエさんが思い出したのはかつての小鎚地区の光景でした。
「昔はお祝いや仏事があるたびに、地域全体にだんごを配った。一度に90人分を作ったこともあったんだよ。娘たちの旦那まで呼んで、朝早くからだんごづくりをやったのさ。ゆるくなかった(大変だった)けど、今となっては懐かしい。作る人がいて、買う人がいて、そうして人が集まってくる。『少しでも小鎚が賑やかになったらいいな』という思いを込めて、これからも元気にだんご屋を続けていきます」。

ヤエさんが考える大槌町の魅力は、自然が豊かなところ。若い人たちには「受け継がれてきた自然との暮らしや風景を大切にしながら生きていってほしい」と話します。
「わたしは山に住んでいるけれど、山だけがふるさとじゃない。山から流れる水が川となり、海へ行く。そしてまた、雨になって帰ってくる。どれが欠けてもだめなんだ。人間も一緒。全て繋がっているんだよ。訪れてくれる人たちにも、大槌のそういうところを好きになってもらいたい。たくさんの人が遊びに来てくれるようになったら、嬉しいねぇ」。
(2025年4月取材)
昔から、困っている人は放っておけない性分だというヤエさん。東日本大震災のときは、被災した親族を自宅に迎え入れ、蓄えていたお米でおにぎりを作っては近くの避難所で配るなど、失意の中にいた大槌町民の心に寄り添いました。
特に印象に残っているのが、自衛隊や警察官の皆さんの姿です。
「一生懸命やってくれている姿が目に入って、思わず車を停めて話しかけた。『ありがとうね、これはあんたたちが食べるんだよ』って、おにぎりやだんごを持たせたの。きっと、自分たちの食事は後回しにしているだろうと思って……。県外から来てくれた人たちだったのかもしれないね。深々と頭を下げられて、涙ぐんでしまった」。
本格的な復興工事が始まると、全国から大槌町役場へ派遣された応援職員さんや支援団体とも交流を重ね、自慢のおだんごや郷土料理で感謝の思いを伝え続けてきました。

2025年2月に開催された大槌町への移住体験ツアー「きてみっつあー」では、地域のお料理名人として、県外から集まった参加者の皆さんと一緒に郷土料理づくりにチャレンジしました。ヤエさんが担当したのはもちろんおだんご。この日のメニューは、大槌町民に“すすりだんご”や“へっちょこだんご”と親しまれているお汁粉です。
慣れない作業に苦戦する参加者さんもいる中、ヤエさんの手からは次々と丸いおだんごが生み出されます。質問を受けてアドバイスをしたり、世間話をしながらの楽しい時間の中で、ヤエさんが思い出したのはかつての小鎚地区の光景でした。
「昔はお祝いや仏事があるたびに、地域全体にだんごを配った。一度に90人分を作ったこともあったんだよ。娘たちの旦那まで呼んで、朝早くからだんごづくりをやったのさ。ゆるくなかった(大変だった)けど、今となっては懐かしい。作る人がいて、買う人がいて、そうして人が集まってくる。『少しでも小鎚が賑やかになったらいいな』という思いを込めて、これからも元気にだんご屋を続けていきます」。

ヤエさんが考える大槌町の魅力は、自然が豊かなところ。若い人たちには「受け継がれてきた自然との暮らしや風景を大切にしながら生きていってほしい」と話します。
「わたしは山に住んでいるけれど、山だけがふるさとじゃない。山から流れる水が川となり、海へ行く。そしてまた、雨になって帰ってくる。どれが欠けてもだめなんだ。人間も一緒。全て繋がっているんだよ。訪れてくれる人たちにも、大槌のそういうところを好きになってもらいたい。たくさんの人が遊びに来てくれるようになったら、嬉しいねぇ」。
(2025年4月取材)

取材、記事:横濱千尋

写真:石川貴子

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運営:一般社団法人 おらが大槌夢広場 / 大槌町移住定住事務局

岩手県上閉伊郡大槌町小鎚27-3-4 シーサイドタウンマスト2F
otsuchiiju@gmail.com|080-8162-8516

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