民泊とは、個人の住宅の一室を旅行者に提供する宿泊サービスのこと。ホテルや旅館とは異なるアットホームな雰囲気の中、地域の文化を堪能できることも魅力の一つとなっています。大槌町町方地区で菊池チヤ子さんが営む民泊には、今日も様々な人が訪れます。「実家に帰って来たような安心感」「下宿している気分になれる」と評判のおもてなしの秘訣と、チヤ子さんが歩んできた人生について伺いました。※事務局釈:町外の出身ですが、大槌での暮らしが長くご本人の大槌に対する想いを尊重して「大槌育ち」としてご紹介させていただきます。

「ただいま」と言いたくなる
自然体のおもてなし
「よく来たねぇ、さ、入って入って!」。
明るい声で出迎えてくれたのは、菊池チヤ子さん。大槌町役場や大槌駅などがある町方(まちかた)地区の上町(かみちょう)というエリアで、菊池民泊マイ・ウェイを営んでいます。玄関には、手芸が趣味だというチヤ子さんお手製のひな人形や吊るしびなが並び、お客さんの目を楽しませていました。大切にしているのは自然体なおもてなし。気を張らずにくつろいでほしいという思いから、お客さんには家族や親戚のように接しているそうです。
素泊まりはもちろん、夕食と朝食も提供しており、料理自慢のチヤ子さんが腕を振るいます。大槌鹿を使ったジビエ料理、焼きウニ、イクラなど、大槌町ならではのメニューが並び、そのボリュームも評判。先日訪れた人は「こんな豪華な食材、なかなか食べられない」「お米が本当においしい」と大喜びしていたそうです。しかしチヤ子さんにとっては、これも自然体なおもてなしの一つ。
「特別なことをしてるわけじゃないよ。孫や息子に、あれを食べさせたい、これを作ってあげたいって思うのは普通のことでしょ? それと同じことを、お客さんにしているだけ」。
チヤ子さんはそう言ってにっこり笑い、「そら、コーヒーのお代わり、淹れてやっから」とポットに手を伸ばしました。
東日本大震災からの住宅再建に合わせて民泊を始め、丸8年。その評判は口コミやSNS投稿などで自然に広まっていき、お客さんは絶えません。やはりチヤ子さんのおもてなしが大きな魅力となっており、「実家に帰って来たような安心感」「下宿している気分になれる」などの感想も寄せられているそうです。常宿にしているリピーターも多く、大槌まつりなどの季節のイベントがある期間は特ににぎわうのだとか。
「復興の様子が知りたくて、訪れてくれる人もいる。復興事業に携わってくれた人とか、自衛官として大槌に来てくれた人とか。そういう意味では、3月も繁忙期なのかもしれないね。今でもずっと気にかけてくれているんだなと、本当にありがたい」。
「よく来たねぇ、さ、入って入って!」。
明るい声で出迎えてくれたのは、菊池チヤ子さん。大槌町役場や大槌駅などがある町方(まちかた)地区の上町(かみちょう)というエリアで、菊池民泊マイ・ウェイを営んでいます。玄関には、手芸が趣味だというチヤ子さんお手製のひな人形や吊るしびなが並び、お客さんの目を楽しませていました。大切にしているのは自然体なおもてなし。気を張らずにくつろいでほしいという思いから、お客さんには家族や親戚のように接しているそうです。
素泊まりはもちろん、夕食と朝食も提供しており、料理自慢のチヤ子さんが腕を振るいます。大槌鹿を使ったジビエ料理、焼きウニ、イクラなど、大槌町ならではのメニューが並び、そのボリュームも評判。先日訪れた人は「こんな豪華な食材、なかなか食べられない」「お米が本当においしい」と大喜びしていたそうです。しかしチヤ子さんにとっては、これも自然体なおもてなしの一つ。
「特別なことをしてるわけじゃないよ。孫や息子に、あれを食べさせたい、これを作ってあげたいって思うのは普通のことでしょ? それと同じことを、お客さんにしているだけ」。
チヤ子さんはそう言ってにっこり笑い、「そら、コーヒーのお代わり、淹れてやっから」とポットに手を伸ばしました。
東日本大震災からの住宅再建に合わせて民泊を始め、丸8年。その評判は口コミやSNS投稿などで自然に広まっていき、お客さんは絶えません。やはりチヤ子さんのおもてなしが大きな魅力となっており、「実家に帰って来たような安心感」「下宿している気分になれる」などの感想も寄せられているそうです。常宿にしているリピーターも多く、大槌まつりなどの季節のイベントがある期間は特ににぎわうのだとか。
「復興の様子が知りたくて、訪れてくれる人もいる。復興事業に携わってくれた人とか、自衛官として大槌に来てくれた人とか。そういう意味では、3月も繁忙期なのかもしれないね。今でもずっと気にかけてくれているんだなと、本当にありがたい」。

理容師、スナックのママ、
キャバレー経営を経て民泊へ
もともと宮古市田老(たろう)の出身であるチヤ子さん。結婚を機に大槌へ移り住んできました。理容師の資格を取り、20歳のときに上町に菊池理容所をオープン。子育てをしながらおよそ30年切り盛りし、その後、大槌駅前で小さなスナックを始めました。「今でも“床屋さん”とか“ママ”と声をかけられる。昔の上町は本当に賑やかな通りだったんだよ」と、目を細めるチヤ子さん。スナックの向かいの通りには、靴屋、居酒屋、釣具店、寿司屋、喫茶店。そして辺りには、何軒もの美容室。思い出話に花が咲き、当時の町並みが鮮やかに蘇ります。「なっても(何もかも)無くなってしまったものなぁ……」。
スナックはやがて、お隣・釜石市へと移転。チヤ子さんの人柄も相まって人気を呼び、大きなキャバレーになりました。席数は約100席、スタッフ40人以上をまとめていたのだとか。しかしある日、妙な胸騒ぎを覚えたチヤ子さんは、家族やスタッフたちに伝えます。「最近、地震も多いし気を付けるんだよ。明日、大きな津波が来るかもしれない」。日本語が分からない外国人のスタッフたちには、避難場所なども丁寧に説明しました。
翌日、東日本大震災が発生。「ママのお陰で助かった」と、スタッフたちから深く感謝されたそうです。
「小さい頃から『地震があったら津波が来るから、すぐ逃げろ』と教わってきたからね。防災学習などで大学生が泊まりに来ると、必ず伝えている。とっさにあれこれ持ち出せなくても、まずは自分の命。あとは“丹前(たんぜん)”持って逃げるんだよ!」。
“丹前”とは、厚く綿を入れた半纏(はんてん)のことで、地域によっては“どてら”などとも呼ばれる昔ながらの防寒着。しかし都会の若者たちには伝わらず、なんとかかみ砕いて説明すると、大学生たちは頷きながら熱心にメモしていたのだとか。「今思えば、笑い話だよね」と、チヤ子さんは照れくさそうに笑いました。
キャバレーは津波で浸水したものの、多くのボランティアの力を借り、その年の11月にはスナックとして再オープンに漕ぎつけました。8年もの間、多くの人に愛されますが、惜しまれながら閉店。理容所を営んでいた期間と合わせて「“商売50年”を区切りにしようと決めていた」のだとか。必死に走り続けてきた釜石市での日々を終え、改めて大槌町の町並みと向き合ったとき、チヤ子さんの心に激しい焦りが生まれたそうです。
「町のにおいがしない。商売のにおいが、まったく無くなっていたんだ。『この町は死んだのか』と本当にショックだった。それでも、黙ってるわけにはいかないものね。『何かしなくちゃ、私が動かなくちゃ』と思って。再建した自宅の空き部屋を活かして、民泊を始めることにしたのさ」。
民泊には、思い出深いキャバレーの名前である“マイ・ウェイ”も加えました。「たとえ反対されても、我が道を行く。それでいい」という言葉とともに、当時お世話になった人から贈られた大切な名前です。人生に寄り添って来たこの名前は、今でもチヤ子さんの背中を押し続けています。
もともと宮古市田老(たろう)の出身であるチヤ子さん。結婚を機に大槌へ移り住んできました。理容師の資格を取り、20歳のときに上町に菊池理容所をオープン。子育てをしながらおよそ30年切り盛りし、その後、大槌駅前で小さなスナックを始めました。「今でも“床屋さん”とか“ママ”と声をかけられる。昔の上町は本当に賑やかな通りだったんだよ」と、目を細めるチヤ子さん。スナックの向かいの通りには、靴屋、居酒屋、釣具店、寿司屋、喫茶店。そして辺りには、何軒もの美容室。思い出話に花が咲き、当時の町並みが鮮やかに蘇ります。「なっても(何もかも)無くなってしまったものなぁ……」。
スナックはやがて、お隣・釜石市へと移転。チヤ子さんの人柄も相まって人気を呼び、大きなキャバレーになりました。席数は約100席、スタッフ40人以上をまとめていたのだとか。しかしある日、妙な胸騒ぎを覚えたチヤ子さんは、家族やスタッフたちに伝えます。「最近、地震も多いし気を付けるんだよ。明日、大きな津波が来るかもしれない」。日本語が分からない外国人のスタッフたちには、避難場所なども丁寧に説明しました。
翌日、東日本大震災が発生。「ママのお陰で助かった」と、スタッフたちから深く感謝されたそうです。
「小さい頃から『地震があったら津波が来るから、すぐ逃げろ』と教わってきたからね。防災学習などで大学生が泊まりに来ると、必ず伝えている。とっさにあれこれ持ち出せなくても、まずは自分の命。あとは“丹前(たんぜん)”持って逃げるんだよ!」。
“丹前”とは、厚く綿を入れた半纏(はんてん)のことで、地域によっては“どてら”などとも呼ばれる昔ながらの防寒着。しかし都会の若者たちには伝わらず、なんとかかみ砕いて説明すると、大学生たちは頷きながら熱心にメモしていたのだとか。「今思えば、笑い話だよね」と、チヤ子さんは照れくさそうに笑いました。
キャバレーは津波で浸水したものの、多くのボランティアの力を借り、その年の11月にはスナックとして再オープンに漕ぎつけました。8年もの間、多くの人に愛されますが、惜しまれながら閉店。理容所を営んでいた期間と合わせて「“商売50年”を区切りにしようと決めていた」のだとか。必死に走り続けてきた釜石市での日々を終え、改めて大槌町の町並みと向き合ったとき、チヤ子さんの心に激しい焦りが生まれたそうです。
「町のにおいがしない。商売のにおいが、まったく無くなっていたんだ。『この町は死んだのか』と本当にショックだった。それでも、黙ってるわけにはいかないものね。『何かしなくちゃ、私が動かなくちゃ』と思って。再建した自宅の空き部屋を活かして、民泊を始めることにしたのさ」。
民泊には、思い出深いキャバレーの名前である“マイ・ウェイ”も加えました。「たとえ反対されても、我が道を行く。それでいい」という言葉とともに、当時お世話になった人から贈られた大切な名前です。人生に寄り添って来たこの名前は、今でもチヤ子さんの背中を押し続けています。

芸達者たちが集う大槌は
おもしろくて懐の深い町
「もうすぐ、桜が咲くね」と呟くチヤ子さん。取材に伺ったこの日は、暖かい日差しが春の訪れを感じさせる日でした。震災前の大槌町には、町のあちこちに桜の木があり、お花見の宴会を楽しめるような場所もあったのだとか。チヤ子さんが今、取り戻したい・つくり出したいと願うのは「お花見でにぎわう大槌町」の姿。一時的なにぎわいの創出だけにとどまらず、そこからは様々な良い循環が生まれると期待しているそうです。
「飲み物は酒屋さん、食べ物はお惣菜屋さんやお弁当屋さん。町内の色々なお店を巡って準備をして、みんなで桜の木の下に集まる。せっかくだから美容室できれいにしてから行こうかしら、とかね。若い人たちの出会いの場にもなるかもしれない。子どもたちはのびのび遊んで、大人たちみんなで見守って……。大槌は芸達者な人が多いから、そのうち踊り出して、民謡が始まって。笛に太鼓に郷土芸能、フラダンスや吹奏楽まで始まったりしてね。こんなおもしろい町、他には無いよ!」。チヤ子さんは得意げに、手を叩きます。
東日本大震災から15年。これまでの日々や復興の歩みを振り返り、チヤ子さんは最後に、こう結びました。「まだまだ前に進めない人もいるし、亡くなった方々を供養する心はずっと持ち続けていかなければならない。だからこそ、今ここに暮らす私たちが、良い町にしていかなきゃ」。
そして町の未来を担う若者たちに向けて、力強いエールを送ります。
「今の大槌には、色んな才能を持った若い人がたくさんいる。それを活かさないと、本当にもったいないよ。もっと自信を持って、好きなことや変わったことをしていいんだよ。大槌っていう町は、それらをどーんと受け止められる。……正直、今の大槌が良い町なのかは分からないけれど、少なくともそういう懐の深さがあるんじゃないかな。私はそう信じているし、これからもそんな町でありたいね」。
(2026年3月取材)
「もうすぐ、桜が咲くね」と呟くチヤ子さん。取材に伺ったこの日は、暖かい日差しが春の訪れを感じさせる日でした。震災前の大槌町には、町のあちこちに桜の木があり、お花見の宴会を楽しめるような場所もあったのだとか。チヤ子さんが今、取り戻したい・つくり出したいと願うのは「お花見でにぎわう大槌町」の姿。一時的なにぎわいの創出だけにとどまらず、そこからは様々な良い循環が生まれると期待しているそうです。
「飲み物は酒屋さん、食べ物はお惣菜屋さんやお弁当屋さん。町内の色々なお店を巡って準備をして、みんなで桜の木の下に集まる。せっかくだから美容室できれいにしてから行こうかしら、とかね。若い人たちの出会いの場にもなるかもしれない。子どもたちはのびのび遊んで、大人たちみんなで見守って……。大槌は芸達者な人が多いから、そのうち踊り出して、民謡が始まって。笛に太鼓に郷土芸能、フラダンスや吹奏楽まで始まったりしてね。こんなおもしろい町、他には無いよ!」。チヤ子さんは得意げに、手を叩きます。
東日本大震災から15年。これまでの日々や復興の歩みを振り返り、チヤ子さんは最後に、こう結びました。「まだまだ前に進めない人もいるし、亡くなった方々を供養する心はずっと持ち続けていかなければならない。だからこそ、今ここに暮らす私たちが、良い町にしていかなきゃ」。
そして町の未来を担う若者たちに向けて、力強いエールを送ります。
「今の大槌には、色んな才能を持った若い人がたくさんいる。それを活かさないと、本当にもったいないよ。もっと自信を持って、好きなことや変わったことをしていいんだよ。大槌っていう町は、それらをどーんと受け止められる。……正直、今の大槌が良い町なのかは分からないけれど、少なくともそういう懐の深さがあるんじゃないかな。私はそう信じているし、これからもそんな町でありたいね」。
(2026年3月取材)