「震災の前は大槌に5軒の釣具屋があったけど、今はうちだけ。ベテランの釣り師から初心者まで本当にいろんなお客さんが来てくれます」そう言いながら、ずらりと並ぶルアー(疑似餌)や仕掛けを説明してくれる美年さん。どんな人でも和ませてしまう人懐っこい笑顔は、父親の道廣(みちひろ)さんに瓜二つ。2人一緒に船を出す日もあれば、美年さんが船に乗り、道廣さんが店に立つ日も。大槌や近隣を釣り場とする人たちの間で知らぬ人はいない親子です。
地元だけでなく、盛岡や北上など100km以上離れた岩手県内陸部からのお客さんも多い御箱崎釣具店と美嘉丸。大羽家が釣りを家業にしたのは昭和50年代のこと。釣りが好きだった美年さんの祖父が事業を始め、道廣さんも20代のころから一緒に切り盛りしてきました。
釣り船の経営は「釣らせてなんぼ」の釣果がすべてという厳しい世界。よく釣れるポイントに船を留めておく操船技術はもちろんのこと、魚が集まる魚礁の位置を頭に入れた上で、今はどの魚礁に魚が付いているかを日々把握しておかなければ、お客さんを満足させることはできません。「ほかの船が行かない場所にどれだけたくさん行って下調べするか。"釣らせる”ための努力をどれだけするかで釣り船は決まる」と道廣さん。その姿勢は20代のころから変わりません。
そんな道廣さんの長男として生まれた美年さんは、幼少期は真っ黒に日焼けするまで友達と大槌の海で泳ぎ、高校までは野球に熱中するスポーツが大好きな少年でした。道廣さんからことあるごとに「オメエ(お前)がうちの墓を守るんだ」と言われたことが記憶にあって「長男だからいつかは大槌に戻って俺が家を継ぐんだと漠然と思っていましたね」。
県立大槌高校を卒業すると、都会に憧れて神奈川県へ。販売職を経験した後、子どもたちに水泳を教えるインストラクターの道に進みました。幼少期から大槌の海で泳ぎ、スポーツが大好きな美年さんにはぴったりの仕事。「人と話すのが好き」という持ち前の性格を活かして、水泳の楽しさを伝える日々。職場の上司にも恵まれ、やりがいを感じる毎日でした。
「震災の前は大槌に5軒の釣具屋があったけど、今はうちだけ。ベテランの釣り師から初心者まで本当にいろんなお客さんが来てくれます」そう言いながら、ずらりと並ぶルアー(疑似餌)や仕掛けを説明してくれる美年さん。どんな人でも和ませてしまう人懐っこい笑顔は、父親の道廣(みちひろ)さんに瓜二つ。2人一緒に船を出す日もあれば、美年さんが船に乗り、道廣さんが店に立つ日も。大槌や近隣を釣り場とする人たちの間で知らぬ人はいない親子です。
地元だけでなく、盛岡や北上など100km以上離れた岩手県内陸部からのお客さんも多い御箱崎釣具店と美嘉丸。大羽家が釣りを家業にしたのは昭和50年代のこと。釣りが好きだった美年さんの祖父が事業を始め、道廣さんも20代のころから一緒に切り盛りしてきました。
釣り船の経営は「釣らせてなんぼ」の釣果がすべてという厳しい世界。よく釣れるポイントに船を留めておく操船技術はもちろんのこと、魚が集まる魚礁の位置を頭に入れた上で、今はどの魚礁に魚が付いているかを日々把握しておかなければ、お客さんを満足させることはできません。「ほかの船が行かない場所にどれだけたくさん行って下調べするか。"釣らせる”ための努力をどれだけするかで釣り船は決まる」と道廣さん。その姿勢は20代のころから変わりません。
そんな道廣さんの長男として生まれた美年さんは、幼少期は真っ黒に日焼けするまで友達と大槌の海で泳ぎ、高校までは野球に熱中するスポーツが大好きな少年でした。道廣さんからことあるごとに「オメエ(お前)がうちの墓を守るんだ」と言われたことが記憶にあって「長男だからいつかは大槌に戻って俺が家を継ぐんだと漠然と思っていましたね」。
県立大槌高校を卒業すると、都会に憧れて神奈川県へ。販売職を経験した後、子どもたちに水泳を教えるインストラクターの道に進みました。幼少期から大槌の海で泳ぎ、スポーツが大好きな美年さんにはぴったりの仕事。「人と話すのが好き」という持ち前の性格を活かして、水泳の楽しさを伝える日々。職場の上司にも恵まれ、やりがいを感じる毎日でした。